2026年11月現在、第72代横綱・稀勢の里は、現役を引退して二所ノ関親方として後進の育成に取り組んでいる。茨城県稲敷郡阿見町に構える二所ノ関部屋を率い、横綱・大の里をはじめとする所属力士の指導や部屋の運営、地域に根ざした相撲普及活動を続けている。2026年11月2日には二所ノ関一門の連合稽古にも参加し、九州場所を控える大の里の状態を見守った。
現役時代は幕内優勝2回、生涯戦歴800勝496敗97休を記録。2017年に第72代横綱へ昇進した一方、度重なるけがに苦しみ、2019年1月に引退を決断した。その後は親方として新たな相撲人生を歩み、弟子の大の里を第75代横綱へと育て上げている。現役時代の栄光だけでなく、指導者としての現在にも注目が集まる人物だ。
【稀勢の里の現在】2026年は二所ノ関親方として何をしている?
稀勢の里の現在の正式な立場は、日本相撲協会の年寄・二所ノ関親方である。
現役引退後に荒磯親方を襲名し、2019年から後進の指導に携わった。その後、2021年8月に田子ノ浦部屋から独立して荒磯部屋を創設。同年12月に年寄名跡「二所ノ関」を襲名し、部屋の名称も二所ノ関部屋へ変更した。
2022年6月には茨城県阿見町で新しい部屋の開設を実現。自身の出身地である牛久市にも近い茨城県南部を拠点に、力士の育成を続けている。
2026年11月の最新活動
2026年11月2日、二所ノ関一門の連合稽古が福岡市東区の佐渡ケ嶽部屋で行われた。
九州場所で2場所連続優勝を目指す横綱・大の里は、大関・琴桜と20番続けて相撲を取り、14勝6敗という内容だった。
この稽古について、二所ノ関親方は次のように評価している。
「先場所よりもかなり出来がいい」
共同通信の報道によれば、親方は大の里の状態が前場所より改善していることを認めながらも、現状に満足せず、さらなる成長を期待していた。
横綱経験者としての視点を持ちながら、弟子のコンディションや稽古内容を見極める姿がうかがえる。
2026年は地域交流にも積極的
2026年6月21日には、茨城県大洗町で二所ノ関部屋として初めての合宿を開催した。
募集に応募した約1,600人が公開稽古を観覧し、相撲甚句なども披露された。親方は、部屋のある県南地域だけでなく、茨城県央地域でも二所ノ関部屋を知ってもらいたいという考えを説明している。
また、2026年10月24日には沖縄テレビを訪問。立浪親方とともに、同年12月19日・20日に開催予定の大相撲うるま場所をPRした。
こうした活動からは、稀勢の里が単に弟子を強くするだけでなく、相撲を地域社会に広げる役割も担っていることが分かる。
早稲田大学大学院でスポーツ科学も学んだ
二所ノ関親方は2021年3月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了している。
現役時代の経験だけに頼らず、スポーツ科学や組織運営について学んできたことも、現在の部屋づくりにつながる特徴だ。
テレビ出演などで知られる元横綱という側面もあるが、2026年現在の中心的な活動は、二所ノ関部屋の運営、力士の育成、相撲普及である。
【第72代横綱の経歴】稀勢の里はどのように横綱まで上り詰めた?
稀勢の里寛は1986年7月3日生まれ。茨城県牛久市出身で、本名は萩原寛という。
15歳で鳴戸部屋に入門し、2002年3月場所で初土俵を踏んだ。しこ名は当初「萩原」だったが、2004年11月場所から「稀勢の里」に改名している。
若い頃から将来を期待され、2004年5月に新十両、同年11月には新入幕を果たした。
その後も着実に番付を上げ、2012年1月場所で大関に昇進。横綱昇進までには長い時間を要したが、2017年1月場所で初優勝を遂げ、同月25日に横綱昇進が正式決定した。
稀勢の里の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 稀勢の里寛 |
| 本名 | 萩原寛 |
| 生年月日 | 1986年7月3日 |
| 出身地 | 茨城県牛久市 |
| 初土俵 | 2002年3月場所 |
| 新入幕 | 2004年11月場所 |
| 大関昇進 | 2012年1月場所 |
| 横綱昇進 | 2017年3月場所 |
| 最高位 | 第72代横綱 |
| 引退 | 2019年1月場所 |
| 現在の年寄名 | 二所ノ関 |
| 所属部屋 | 二所ノ関部屋の師匠 |
2017年1月、19年ぶりの日本出身横綱誕生
稀勢の里のキャリアで最大の転換点となったのが、2017年1月場所だった。
大関として臨んだ同場所で14勝1敗を記録し、悲願の幕内初優勝を達成。翌25日、日本相撲協会の理事会で横綱昇進が決定した。
日本出身の横綱誕生は、1998年の若乃花以来、約19年ぶりだった。
昇進時は30歳。長い大関時代を経て、ようやく最高位に到達したことから、多くの相撲ファンにとって印象深い出来事となった。
加えて、2017年3月場所でも優勝し、横綱昇進後すぐに2場所連続優勝を達成している。
遅咲きながらも、横綱としての実力を十分に示した時期だった。
【現役時代の戦績】優勝回数2回と生涯戦歴800勝496敗97休の実力
日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている稀勢の里の生涯戦歴は、次のとおりだ。
800勝496敗97休(101場所)
幕内戦歴は714勝453敗97休(85場所)。幕内優勝は2回で、幕下優勝も1回記録している。
幕内優勝は2017年の2回
稀勢の里が幕内最高優勝を達成したのは、2017年1月場所と3月場所である。
最初の優勝は、長年あと一歩で届かなかった賜杯を初めて手にしたものだった。
続く3月場所では、13日目に横綱・日馬富士との取組で左上腕部と左大胸筋付近を負傷。それでも千秋楽まで出場し、大関・照ノ富士との本割と優勝決定戦を制して連続優勝を果たした。
この2場所の優勝は、稀勢の里の競技人生を象徴する実績である。
三賞・金星などの受賞歴
公式プロフィールに記載されている主な受賞歴は以下のとおり。
- 幕内優勝:2回
- 幕下優勝:1回
- 殊勲賞:5回
- 敢闘賞:3回
- 技能賞:1回
- 金星:3個
特に注目したいのは、殊勲賞5回という実績だ。
横綱や大関といった上位力士を相手に結果を残し、長年にわたって幕内上位で存在感を示してきた。
得意技は左四つと寄り
稀勢の里の得意技は、左四つ・寄り・突き。
左四つから相手を組み止め、圧力をかけながら前に出る取り口が持ち味だった。
身長188センチ、体重177キロという恵まれた体格に加え、粘り強い相撲も特徴だった。
大関時代には安定した成績を残し、横綱昇進前の2016年には年間69勝を記録。年間最多勝も獲得している。
幕内優勝回数だけを見ると2回だが、長年にわたって上位で戦い続けた実績も評価すべきポイントだ。
【2019年の引退理由と経緯】なぜ稀勢の里は横綱在位12場所で引退した?
稀勢の里の引退を語るうえで避けられないのが、2017年春場所で負った左胸と左上腕部のけがである。
横綱昇進直後の場所で劇的な連続優勝を達成したものの、その代償は大きかった。
左上腕部と左大胸筋の負傷
2017年3月場所13日目、日馬富士との取組で左上腕部を負傷した。
その後の診断では、左大胸筋損傷と左上腕二頭筋損傷が確認された。
稀勢の里は負傷を抱えながら千秋楽まで出場し、優勝を達成。しかし、完治しないまま土俵に戻ったことで、その後も休場や成績不振に悩まされることになる。
2017年5月場所では11日目から休場。7月場所も途中休場した。
2018年1月場所にも左大胸筋の損傷が疑われ、途中休場。さらに同年11月場所では右膝の負傷もあり、初日から4連敗した後、5日目から休場した。
2019年1月16日、ついに引退を決断
2019年1月場所は、横綱として進退を懸けた場所だった。
しかし、初日から小結・御嶽海、前頭・逸ノ城、前頭・栃煌山に3連敗。
2018年秋場所から続く不振もあり、横綱としての責任を果たせない状況に追い込まれていた。
1月15日の取組後、稀勢の里は師匠の田子ノ浦親方に引退の意向を伝えた。
翌16日、師匠が引退を発表。日本相撲協会も同日、引退と年寄「荒磯」の襲名を承認した。
引退会見で、稀勢の里は次のように語っている。
「私の土俵人生において一片の悔いもございません」
また、けがをする前の相撲に戻すことができなかったという趣旨の説明もしている。
引退の理由は、単純に勝てなくなったからではない。左胸や左上腕部の故障が長期化し、本来の相撲を取り戻せなかったこと、そして横綱として結果を残す責任を果たせないと判断したことが大きい。
横綱としての在位は12場所
稀勢の里の横綱在位は2017年3月場所から2019年1月場所までの12場所。
横綱としての優勝は1回で、在位期間は決して長くなかった。
しかし、横綱昇進を果たした2017年の連続優勝と、日本出身横綱としての存在感は、今も相撲史に残る実績である。
【二所ノ関部屋と大の里】師弟関係・所属力士・独自の指導方針
稀勢の里の引退後の活動を理解するうえで、最も重要なのが二所ノ関部屋の存在だ。
2026年11月現在、日本相撲協会の公式部屋紹介では、二所ノ関親方が師匠を務め、横綱・大の里を中心とした力士が所属している。
二所ノ関部屋の主な所属力士
2026年11月場所の番付と日本相撲協会の部屋紹介に掲載されている主な力士は以下のとおり。
| 力士・人物 | 所属部屋での関係・地位 | 特徴 |
|---|---|---|
| 二所ノ関親方(元稀勢の里) | 師匠 | 第72代横綱。部屋の運営と弟子の育成を担当 |
| 大の里 | 東横綱 | 第75代横綱。二所ノ関親方の弟子 |
| 白熊 | 西十両9枚目 | 二所ノ関部屋所属の関取 |
| 花の海 | 東幕下29枚目 | 幕下力士 |
| 猪名の山 | 西幕下47枚目 | 幕下力士 |
| 麒麟龍・尼王・麟虎など | 三段目 | 次の番付上昇を目指す所属力士 |
大の里は、二所ノ関親方が自ら見いだし、育ててきた代表的な弟子だ。
大の里との出会いは大学時代
大の里は本名を中村泰輝といい、日本体育大学出身の力士である。
大学4年生の頃に二所ノ関親方と出会い、2023年に二所ノ関部屋への入門を決めた。
親方が大の里に注目した理由の一つは、恵まれた体格と相撲の能力だった。
2023年4月の入門会見では、しこ名を「大の里」とすることが発表された。この名前は、実は親方が現役時代に稀勢の里へ改名する際にも候補として考えていたものだった。
大の里は入門後、急速に番付を上げ、2024年には幕内優勝を達成。2025年5月には横綱昇進が決定し、第75代横綱となった。
師匠自身が第72代横綱であり、弟子が第75代横綱に昇進したことは、二所ノ関部屋にとって大きな節目となった。
師弟関係を象徴する雲竜型の土俵入り
2025年5月、大の里の横綱昇進に伴う綱打ちと土俵入りの稽古が二所ノ関部屋で行われた。
このとき、師匠の二所ノ関親方が大の里に雲竜型の土俵入りを直接指導した。
大の里は、師匠から土俵入りを教わることが一つの夢だったと語っている。
日刊スポーツの2025年5月の連載では、大の里が師匠の指導について「アドバイスはほとんどない」と説明し、稽古を通じて自分で感じ取ることの大切さを語っていた。
これは、細かな指示を重ねるだけではなく、弟子自身の理解力や判断力を伸ばそうとする指導の一面を示している。
二所ノ関部屋の指導方針は科学的な稽古と効率化
二所ノ関部屋の公式サイトでは、指導方針について次のように説明している。
「皆様に愛される力士、怪我に強い力士を育てるべく、指導しています。」
特徴的なのは、相撲の伝統を大切にしながら、科学的な稽古やスポーツビジネスの考え方を取り入れている点だ。
具体的な取り組みとして、以下が挙げられる。
- 土俵を2面設置: 力士が待ち時間を減らし、効率的に稽古できる環境を整備。
- けがに強い力士の育成: 現役時代の経験も踏まえ、長く活躍できる力士を目指す。
- 部屋の経営強化: 支援者や企業との関係づくりを重視。
- 地域との連携: 地元の小中学校と協力した相撲教室や体育授業を実施。
- 子ども向け活動: わんぱく相撲や小学生との合同稽古などを通じて相撲を普及。
二所ノ関親方は、親方の仕事を単なる稽古の指導に限定していない。
弟子の発掘、力士の育成、部屋のスタッフのマネジメント、ファンや支援者の獲得までを相撲部屋の運営に含めて考えている。
こうした考え方には、大学院でスポーツ科学を学んだ経験や、現役時代に培った問題意識が反映されている。
【プロの結論】稀勢の里の本当の功績は横綱から指導者への継承にある
稀勢の里の相撲人生を評価するとき、幕内優勝2回という数字だけでは全体像を捉えきれない。
確かに横綱在位は12場所で、けがの影響によって本来の力を発揮できなかった期間も長かった。
しかし、現役時代に大関として積み重ねた実績、2017年の連続優勝、そして日本出身横綱としての人気は、相撲界にとって大きな意味を持っていた。
さらに注目したいのは、引退後に自らの経験を次世代へ伝える立場に移ったことだ。
大の里の横綱昇進は指導者としての成果
大の里が2025年に第75代横綱へ昇進したことは、二所ノ関親方の指導者としてのキャリアにおける重要な成果である。
ただし、弟子の成功を師匠一人の功績として説明することはできない。
大の里自身の努力、大学時代からの競技経験、本人の身体能力、周囲の力士やスタッフの支援が重なって実現したものだ。
そのうえで、横綱経験者から直接指導を受けられる環境は、二所ノ関部屋ならではの強みといえる。
稀勢の里の現在を評価する3つの視点
2026年以降の活動を追うなら、次の3点に注目したい。
1. 所属力士の成長: 大の里だけでなく、白熊や幕下以下の若手がどこまで番付を上げるか。
2. けがに強い力士の育成: 科学的な稽古を取り入れた指導が、長期的な競技力につながるか。
3. 部屋と地域の関係: 茨城県を中心とした相撲普及活動が、次世代の力士やファンの獲得につながるか。
特に、部屋の運営を競技力の向上と切り離さず、地域との関係づくりまで含めて考えている点は注目に値する。
稀勢の里は、現役時代に横綱として長く君臨することはできなかった。しかし、二所ノ関親方として横綱を育てる側に回り、新しい形で相撲界に貢献している。
【稀勢の里の現在・経歴】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:稀勢の里は2026年現在、何をしていますか?
A1:日本相撲協会の年寄・二所ノ関親方として、二所ノ関部屋の師匠を務めています。所属力士の育成、部屋の運営、地域での相撲普及活動などが主な仕事です。
Q2:稀勢の里の幕内優勝回数は何回ですか?
A2:幕内優勝は2回です。2017年1月場所で初優勝し、続く3月場所でも優勝して2場所連続優勝を達成しました。幕下優勝も1回あります。
Q3:稀勢の里の引退理由は何ですか?
A3:2017年春場所で負った左上腕部と左大胸筋付近のけがをはじめ、度重なる故障によって本来の相撲を取り戻せなかったことが大きな理由です。2019年1月場所で初日から3連敗し、1月16日に引退を発表しました。
Q4:稀勢の里と大の里はどのような関係ですか?
A4:二所ノ関親方(元稀勢の里)が師匠で、大の里が弟子です。大学時代に出会い、2023年に二所ノ関部屋へ入門。2025年には第75代横綱に昇進しました。
Q5:稀勢の里の生涯戦歴はどれくらいですか?
A5:日本相撲協会の公式プロフィールによると、800勝496敗97休(101場所)です。幕内戦歴は714勝453敗97休となっています。
Q6:二所ノ関部屋はどこにありますか?
A6:茨城県稲敷郡阿見町荒川本郷にあります。2022年6月に部屋開きを行い、稀勢の里が師匠として本格的な部屋運営を始めました。
まとめ:稀勢の里は横綱から名伯楽を目指す新たな段階へ
稀勢の里は第72代横綱として幕内優勝2回、生涯戦歴800勝496敗97休という実績を残し、2019年1月に現役を引退した。
引退の背景には、横綱昇進直後に負った左胸や左上腕部のけがと、その後も続いた故障があった。
しかし、土俵を去った後も相撲界から離れることはなかった。荒磯親方として後進の指導を始め、2021年に二所ノ関の名跡を襲名。2022年には茨城県阿見町に新しい部屋を開設した。
そして2025年には、弟子の大の里が第75代横綱へ昇進。2026年現在も二所ノ関親方は、弟子の育成と部屋の発展に力を注いでいる。
現役時代の稀勢の里を知る人にとって、現在の姿は新たな魅力を感じさせるものだろう。
稀勢の里の物語は、2019年の引退で終わったわけではない。横綱として培った経験を次世代へ伝え、二所ノ関部屋から新しい横綱を育てていく。その挑戦こそが、2026年現在の二所ノ関親方を理解する最大のポイントである。
主な確認資料: 日本相撲協会公式プロフィール・歴代横綱一覧、二所ノ関部屋公式ホームページ、共同通信、日刊スポーツ、デイリースポーツ、NHK関連報道。