日本テレビ系『世界の果てまでイッテQ!』の人気企画として、多くの視聴者の記憶に残る「イッテQ登山部」。イモトアヤコを中心に、キリマンジャロやモンブラン、マッターホルン、世界第8位の高峰マナスル、南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフなど、世界の名峰に挑んできた本格的な登山プロジェクトだ。バラエティー番組の企画という枠を超え、専門登山家や国際山岳ガイド、山岳医、撮影スタッフが一体となって挑戦を続けてきた。
一方、アコンカグアやエベレストでは登頂を断念し、2024年には長年チームを支えてきた山岳カメラマン・中島健郎さんに関する重大な事故も起きた。そして2025年3月、イモトは7年ぶりとなる海外登山でスイスのブライトホルン登頂に成功している。2026年現在の活動状況はどうなっているのか。歴代メンバーの役割、登頂した山の記録、挑戦の成功と撤退の背景まで詳しく振り返る。
【結論】イッテQ登山部とは?イモトアヤコが挑んだ世界の名峰と企画の正体

イッテQ登山部とは、日本テレビのバラエティー番組『世界の果てまでイッテQ!』から生まれた登山企画である。中心となるのは珍獣ハンターとして知られるイモトアヤコ。海外の珍しい動物や文化を紹介するタレントだった彼女が、世界の高峰を目指す登山者へと成長していく過程を追ったシリーズだ。
企画の大きな特徴は、単に芸能人が山に登るという内容ではないこと。登山経験の少なかったイモトが専門的なトレーニングを受け、国際山岳ガイドや登山家とともに高所登山に挑戦する。加えて、現地の気象条件、標高、雪崩、低酸素環境などを考慮しながら遠征計画を進める必要があった。
2009年のキリマンジャロが本格的な挑戦の出発点
イモトの登山企画を語るうえで欠かせないのが、2009年のキリマンジャロ登頂だ。標高5,895メートルを誇るアフリカ大陸最高峰への挑戦は、後の大規模な海外登山プロジェクトにつながる重要な転換点になった。
その後、2010年にはヨーロッパ最高峰のモンブラン、2012年にはマッターホルン、2013年には標高8,163メートルのマナスルへと挑戦の舞台を広げていく。標高だけでなく、岩壁の登攀技術や長期遠征への対応など、求められる能力も変化していった。
登山部は固定メンバーのサークルではない
誤解されやすい点だが、イッテQ登山部は一般的なスポーツ団体のように固定された部員名簿を持つ組織ではない。プロジェクトごとに登山ガイド、医療スタッフ、山岳カメラマン、制作スタッフなどが参加する遠征チームに近い。
登山部という名称には、イモトとスタッフが同じ目標に向かって挑む仲間という意味合いがある。テレビ番組でありながら、専門家の判断を尊重しなければ成立しない。その独特の構造が、長年にわたって企画を支えてきた。
【歴代メンバー】貫田宗男・石崎史郎・角谷道弘ら登山部を支えた人物
イッテQ登山部の歴史は、イモト一人の挑戦ではない。表舞台に立つタレントだけでなく、登山技術を担うガイド、遠征を統括するスタッフ、撮影を担当する山岳カメラマンなど、多くの人材が関わってきた。
イモトアヤコ:登山部の中心となる挑戦者
イモトアヤコは1986年生まれのタレント・女優。『世界の果てまでイッテQ!』では珍獣ハンターとして広く知られるようになったが、登山企画では別の一面を見せている。
特にマナスル登頂は大きな実績だ。標高8,163メートルという極めて厳しい高所環境に身を置き、2013年10月2日に山頂に到達した。登頂後には、酸素の薄い環境での行動や長期テント生活の精神的な負担についても語っている。
イモトの魅力は、常に強気で登り続けることだけではない。疲労や恐怖、悔しさを隠さず、専門家の判断を受け入れる姿勢も、登山企画の重要な部分になっている。
貫田宗男:「天国じじい」と呼ばれる登山部の精神的支柱
登山部の象徴的な存在が、貫田宗男さんだ。番組では「天国じじい」という愛称で親しまれ、イモトの海外登山を長年支えてきた。
貫田さんは1951年に山口県で生まれ、高校時代に登山を始めた人物。全国山の日協議会のプロフィールでは、株式会社ウェック・トレック顧問、日本山岳・スポーツクライミング協会の登山部国際委員会常任委員などの経歴が紹介されている。
単なる番組の盛り上げ役ではなく、遠征計画や登山に関する専門的な判断を支える存在だ。2017年の南極プロジェクトでも、イモトにヴィンソン・マシフ挑戦を伝える役割を担った。
石崎史郎:登山部主任として現場をまとめた番組ディレクター
石崎史郎さんは、日本テレビの番組ディレクターであり、イッテQ登山部の重要なメンバー。イモトとの掛け合いでも知られるが、登山企画では制作スタッフとしてだけでなく、実際に遠征に参加する一人でもあった。
特に注目したいのが、2013年のマナスル登頂だ。石崎さんもイモトとともに登頂を果たしている。2018年のスポニチのインタビューでは、自身が現場責任者のような立場であり、励ますときと厳しく接するときの両方があると説明していた。
登山中は出演者とスタッフという関係を超え、同じ環境で生活し、困難を共有する。イモトと石崎さんの掛け合いが自然に見える背景には、長期間の遠征で築かれた信頼関係がある。
角谷道弘:登山部のメインガイド
角谷道弘さんは、日本山岳ガイド協会認定ガイドであり、UIAGM国際山岳ガイドとしても活動する専門家だ。自身の公式プロフィールでは、2010年から日本テレビのイッテQ登山部のガイドを務めていることが紹介されている。
海外の高峰では、ルートの選定や登攀技術、天候判断など、専門的な知識が必要になる。角谷さんのような経験豊富なガイドがチームに加わることは、登頂を目指すうえでも安全を確保するうえでも欠かせない。
中島健郎:登山家・山岳カメラマンとして欠かせなかった存在
中島健郎さんは、山岳カメラマンでありクライマーとして活躍した人物。イッテQ登山部では、2012年のマッターホルン、2013年のマナスル、2018年のヴィンソン・マシフなどで、ガイドと撮影の両面からチームを支えた。
2024年7月、中島さんは平出和也さんとともにパキスタンのK2西壁を登攀中に滑落した。所属先の石井スポーツは救助活動の終了を発表。日本テレビも公式コメントで、数々の登山部プロジェクトにおける中島さんの貢献に感謝と敬意を表した。
2025年のブライトホルン企画では、イモトが中島さんとの思い出を語り、山で一緒に過ごした仲間を失った喪失感を明かしている。登山部の歴史を振り返る際に欠かせない出来事だ。
その他の主なサポートメンバー
登山部には、奥田仁一さん、三戸呂拓也さん、大城和恵さんなども参加してきた。大城さんは山岳医として医療面を支え、奥田さんや三戸呂さんらは登山経験を生かして遠征をサポートした。
こうした人材が役割を分担することで、登山者の体調管理、登攀技術、撮影、現地での行動計画などを総合的に支える体制ができていた。
【登頂記録一覧】キリマンジャロからマナスル・南極まで歴代の名峰を総整理
イッテQ登山部の挑戦は、2009年のキリマンジャロから始まり、世界各大陸の最高峰やアルプスの難所へと広がった。ここでは、イモトの代表的な海外登山プロジェクトを、成功と断念の両方を含めて整理する。
イモトアヤコの主な登山記録
| 時期・山名 | 標高 | 結果・主な記録 |
|---|---|---|
| 2009年・キリマンジャロ | 5,895m | 登頂成功。海外高峰への本格挑戦の出発点。 |
| 2010年・モンブラン | 約4,810m | 登頂成功。ヨーロッパアルプス最高峰に挑戦。 |
| 2011年・キリマンジャロ | 5,895m | 2度目の登頂成功。24時間テレビ企画でも放送。 |
| 2012年・アコンカグア | 約6,961m | 登頂断念。悪天候と雪崩の危険を考慮して撤退。 |
| 2012年・マッターホルン | 4,478m | 登頂成功。険しい岩稜を越えた象徴的な挑戦。 |
| 2013年・マナスル | 8,163m | 登頂成功。10月2日午前10時32分に山頂到達。 |
| 2014年・エベレスト | 約8,849m | 登頂断念。シェルパの雪崩死亡事故を受けて遠征中止。 |
| 2015年・デナリ(マッキンリー) | 約6,190m | 登頂成功。北米大陸最高峰に到達。 |
| 2016年・アイガー | 3,970m | 登頂成功。2016年9月25日の特番で挑戦を放送。 |
| 2017年末〜2018年・ヴィンソン・マシフ | 4,892m | 登頂成功。南極大陸最高峰への挑戦を達成。 |
| 2025年・ブライトホルン | 4,164m | 登頂成功。7年ぶりの海外登山企画として放送。 |
この一覧から分かるのは、登山部が標高の高い山だけを選んでいたわけではないということだ。マッターホルンやアイガーのように、標高以上に岩稜や技術的な難しさが注目される山にも挑んでいる。
世界第8位の高峰マナスル登頂は最大級の実績
登山部の歴史で特に大きな意味を持つのが、2013年のマナスル登頂だ。標高8,163メートルのマナスルは、ヒマラヤ山脈に位置する世界第8位の高峰。酸素の薄い環境で長期間行動する必要があり、一般的な高所登山とは難易度が大きく異なる。
2013年10月2日午前10時32分、イモトは山頂への到達に成功した。11月10日に放送された番組では、その遠征の様子が紹介され、本人も自分の足で山頂に立った喜びを語った。
マナスルでは、山頂に到達した後も長時間とどまることはできない。薄い空気と厳しい寒さの中、わずかな時間で下山を開始する必要がある。登頂の瞬間だけではなく、そこに至るまでの高度順応や長期間のテント生活も、遠征の大きな負担だった。
南極ヴィンソン・マシフで達成した大きな節目
2017年末から2018年にかけて挑んだヴィンソン・マシフは、南極大陸最高峰で標高4,892メートル。2018年2月18日に放送された「南極3時間スペシャル」で登頂成功が紹介された。
標高だけを見るとマナスルより低いが、南極特有の極寒や強風、遠隔地への移動など、別種の厳しさがある。スポニチの2018年の報道では、悪天候時には体感温度がマイナス50度、風速40〜50メートルのブリザードが予想される環境として紹介された。
このプロジェクトは、単なる標高記録では測れない遠征の厳しさを伝えた。登山部が世界各地の異なる環境に対応してきたことを示す代表的な挑戦だった。
【断念の真相】アコンカグアとエベレストはなぜ登頂できなかったのか
イッテQ登山部を語る際、成功した山だけを並べるのは正確ではない。アコンカグアとエベレストでは登頂を断念している。しかし、この2つの撤退には、それぞれ異なる事情があった。
アコンカグア:山頂目前でも雪崩の危険を優先
2012年に挑戦したアコンカグアは、アルゼンチンに位置する南米大陸最高峰で標高約6,961メートル。イモトにとっては、キリマンジャロやモンブランを経て挑んだ大きな目標の一つだった。
ところが、登山中に雪が降り、雪崩の危険が高まった。2023年12月、イモトはTBS系『日曜日の初耳学』に出演した際、この挑戦について振り返っている。山頂まであとわずかな距離だったものの、ガイドチームは安全を優先して引き返す判断をしたという。
イモトは当時のガイドの判断について、次の言葉を紹介した。
「その可能性が少しでもあるなら、僕は恨まれてもいいから引き返す」
この言葉は、イモトが2023年のテレビ出演時に紹介したガイドの判断だ。登頂を目指して長期間トレーニングを重ねてきた本人にとって、山頂を目前にした撤退は簡単に受け入れられるものではなかった。
しかし、イモトは後に、危険を判断できるガイドチームへの信頼が深まったと振り返っている。テレビの企画だからこそ、視聴者に成功を届けたいという気持ちは強くなる。それでも、安全より放送上の成果を優先しなかった点に、この企画の実態が表れている。
エベレスト:2014年の大規模な雪崩事故で遠征を中止
イッテQ登山部が当初から目標として掲げていたのが、世界最高峰エベレストへの登頂だった。2013年のマナスル成功後、2014年の挑戦に向けて準備が進められた。
しかし、2014年4月18日、エベレストの登山ルートで大規模な雪崩が発生。多数のシェルパが犠牲になる事故となった。現地では安全確保が困難になり、主要な登山隊も次々と撤退を決めた。
日本テレビが2014年4月28日に公表した定例記者会見資料では、エベレスト登頂プロジェクトを中止する理由として、雪崩事故後の各国登山隊の動向と、ルート工作に必要な国際的な連携体制の変化が説明されている。
エベレストでは、山頂に向かう道を確保するために複数の登山隊やシェルパの協力が欠かせない。主要な隊が撤退すれば、残った隊の負担が増え、危険性も高まる。イッテQ登山隊は総勢16名で現地入りし、標高約6,300メートルの別の山で高度順応を進めていたが、最終的に登頂を断念した。
つまり、エベレスト断念はイモトの体力不足や準備不足が原因ではない。現地で発生した重大事故と、登山を安全に続けるための支援体制が崩れたことが決定的な理由だった。
断念は失敗なのか?登山企画の本質
登山では、頂上に到達することだけが成功ではない。天候や雪崩、体調、ルートの状況を判断し、危険があれば引き返すことも重要な技術の一つだ。
アコンカグアとエベレストの事例は、テレビ番組であっても自然環境の判断を軽視できないことを示した。視聴者が期待する登頂シーンを実現できなくても、チームが無事に戻ることを優先する。その姿勢こそ、専門家とともに挑む登山企画の根幹にある。
【2026年最新】イッテQ登山部の現在の活動状況と2025年ブライトホルン挑戦
2026年現在の登山部を理解するうえで重要なのが、2018年のヴィンソン・マシフ登頂後の動きだ。長期間にわたる大規模な海外登山企画はしばらく見られなかったが、2025年3月にイモトがスイスで再び海外登山に挑戦した。
2025年3月、7年ぶりの海外登山でブライトホルンに成功
2025年3月9日放送の『世界の果てまでイッテQ!』では、「珍獣ハンターイモトワールドツアー in スイス」として、アルプス山脈のブライトホルンへの挑戦が紹介された。
標高4,164メートルのブライトホルンは、イモトにとって2018年のヴィンソン・マシフ以来、約7年ぶりとなる海外登山の舞台だった。
今回の登山では、貫田宗男さんに加え、エベレスト登頂経験11回の倉田裕之さん、国際山岳ガイドの白野民樹さんが同行。従来の登山部メンバーだけで構成された遠征ではなく、新たなガイド体制で挑んだ企画となった。
途中でガイドが離脱するなどの困難もあったが、最終的にイモトは登頂に成功した。日の出の撮影という目的は天候の影響で予定どおりには進まなかったものの、久しぶりの海外登山を達成した。
中島健郎さんの不在が意味するもの
2025年のスイス登山で印象的だったのは、イモトが中島健郎さんを思い出す場面だ。
中島さんは2024年7月、K2西壁で平出和也さんとともに滑落した。所属する石井スポーツは7月30日に救助活動の終了を発表し、日本テレビも8月2日に登山部を支えてきた中島さんへの感謝を公式に表明した。
イモトは2025年のブライトホルン登山中、マッターホルンなどを一緒に登った中島さんとの思い出を語った。山で過ごした仲間だからこそ、再び山に来たことで喪失感が強くなったという趣旨の言葉を残している。
中島さんは、登山部にとって単なる撮影担当者ではなかった。専門的な登山技術を持ち、撮影機材を携えて登山者の近くで行動し、技術面と精神面の双方を支える存在だった。2025年の企画は、その大切な仲間がいない新しい登山体制で行われた。
登山部は解散した?2026年現在の実態
ネット上では「イッテQ登山部は解散したのか」「イモトはもう登山をしないのか」といった疑問も見られる。しかし、登山部の解散を日本テレビが正式に発表したという情報は確認できない。
一方で、2026年11月1日時点で、番組公式記事一覧に新たな2026年のイッテQ登山部大型海外遠征が発表された形跡も確認できない。直近の大きな海外登山企画として確認できるのは、2025年3月のブライトホルン挑戦である。
そのため、現在の状況を「登山部が完全に解散した」と断定することも、「以前と同じメンバーで継続的に活動している」と説明することも正確ではない。番組内の登山企画として、必要に応じて専門家やスタッフを編成する形が実態に近い。
今後、新たな海外登山プロジェクトが発表されるかどうかは、日本テレビの公式番組情報や放送内容が判断材料になる。特に、貫田宗男さんやイモトの出演、ガイド陣の編成、遠征先の発表などが注目点だ。
【放送回まとめ】世界の果てまでイッテQ登山企画の代表的な名場面
登山部の歴史を映像で振り返りたい場合は、山の名前だけでなく放送回を手掛かりにすると探しやすい。特に、マッターホルン、マナスル、エベレスト、アイガー、南極の各プロジェクトは代表的な放送回として知られている。
押さえておきたい主な放送回
2010年9月5日:モンブラン登頂プロジェクト完結編
ヨーロッパアルプス最高峰への挑戦を紹介した放送回。キリマンジャロから続くイモトの登山経験の広がりを感じられる。
2012年9月2日・9月30日:マッターホルン登頂への道・登頂プロジェクト
スイスとイタリアの国境に位置する名峰に挑戦。岩稜を進む過酷な登山と、イモトを支えるガイド陣の働きが見どころとなった。
2013年9月22日・11月10日:エベレストへの道・マナスル登頂プロジェクト
マナスル登頂成功までの過程を追ったシリーズ。登山部が世界最高峰エベレストを目指すことになった背景も理解できる。
2014年4月20日・5月18日:エベレスト直前最終合宿・挑戦の一部始終
エベレストへの遠征準備と、雪崩事故による登頂断念までの経緯を知るうえで重要な放送回。
2015年7月26日:マッキンリー登頂プロジェクト
北米大陸最高峰への挑戦。イモトだけでなく、登山部全体が過酷な環境で力を合わせる姿が紹介された。
2016年9月25日:登山部アイガー登頂プロジェクト
標高3,970メートルのアイガーに挑戦したスペシャル。登攀技術が必要な難所に向き合うイモトの姿が印象的だった。
2018年2月18日:南極大陸最高峰への挑戦3時間スペシャル
ヴィンソン・マシフへの挑戦をまとめた大型特番。南極の極寒環境での遠征と、登頂成功までの過程を追っている。
2025年3月9日:珍獣ハンターイモトワールドツアー in スイス
7年ぶりの海外登山となったブライトホルン挑戦。過去の登山部を支えた仲間への思いと、新しいチームでの登山が描かれた。
これらの放送記録は、登山企画の全体像を知るうえで役立つ。特にエベレストとアコンカグアの撤退回、マナスルとヴィンソン・マシフの成功回を続けて見ると、登山部が何を大切にしてきたのかが分かりやすい。
【よくある質問】イッテQ登山部に関するFAQ
Q1:イッテQ登山部の中心メンバーは誰ですか?
A1:中心人物はイモトアヤコです。貫田宗男さん、角谷道弘さん、石崎史郎さん、中島健郎さんなどが主要プロジェクトを支えてきました。ほかにも山岳医や登山家、撮影スタッフが参加しています。
Q2:イモトアヤコはエベレストに登頂しましたか?
A2:登頂していません。2014年に挑戦しましたが、4月18日の雪崩事故でシェルパが多数犠牲となり、現地の安全な登山体制が維持できなくなったため、登頂を断念しました。
Q3:イモトが登頂に成功した最も高い山は何ですか?
A3:代表的な成功実績では、標高8,163メートルのマナスルです。2013年10月2日に登頂しました。
Q4:天国じじいとは誰ですか?
A4:登山家の貫田宗男さんです。イッテQ登山部での愛称が「天国じじい」で、登山計画や遠征を支える専門家として長く参加しています。
Q5:イッテQ登山部は解散したのですか?
A5:日本テレビから正式な解散発表があったことは確認できません。2025年3月にはブライトホルン登頂企画が放送されていますが、2026年の新たな大型海外登山企画は公式情報で確認できていません。
Q6:イモトは2025年にも登山をしましたか?
A6:はい。2025年3月9日放送のスイス企画で標高4,164メートルのブライトホルンに挑戦し、登頂に成功しました。2018年のヴィンソン・マシフ以来、約7年ぶりの海外登山でした。
Q7:アコンカグアを断念した理由は何ですか?
A7:登山中の降雪によって雪崩の危険が高まったためです。山頂目前まで進んでいましたが、ガイドチームが安全を優先して撤退を決断しました。
まとめ:【プロの結論】イッテQ登山部の本当の価値は登頂記録だけではない
イッテQ登山部は、2009年のキリマンジャロから始まり、モンブラン、マッターホルン、マナスル、デナリ、アイガー、ヴィンソン・マシフなど、世界の名峰に挑戦してきた番組を代表する企画だ。中心にいたイモトアヤコは、専門家の指導と長期間のトレーニングを経て、標高8,163メートルのマナスルにも登頂した。
一方、アコンカグアやエベレストでは撤退を選択した。そこには雪崩や悪天候、現地の登山体制といった、個人の努力だけでは乗り越えられない問題があった。登頂成功だけを評価するのではなく、危険を察知して引き返す判断も含めて見ることが、この企画を正しく理解するポイントになる。
2026年現在、登山部の解散は公式に発表されておらず、2025年にはブライトホルンへの7年ぶりの海外登山も実現している。ただし、かつてのような大規模な遠征が定期的に続いているわけではない。今後の新企画やメンバー編成については、番組の公式発表が注目される。
【プロの結論】イッテQ登山部の最大の価値は、何座登頂したかという数字だけでは測れない。タレント、登山家、ガイド、医療スタッフ、撮影スタッフが一つの目標に向かい、成功も撤退も共有してきた点にある。山頂に立つ瞬間だけでなく、そこに至るまでの準備、仲間との信頼、そして命を守るために引き返す決断までが、イッテQ登山部という企画の本当の記録なのだ。