俳優・松平健さんの若い頃は、端正な顔立ちと精悍な雰囲気が印象的で、現在の貫禄ある姿とはまた違った魅力があります。17歳で愛知県豊橋市から上京し、俳優を目指した松平さんは、1975年の『座頭市物語』で本格的に注目されるようになりました。その後、勝新太郎さんのもとで時代劇の基礎を学び、1978年には20代前半という若さで『暴れん坊将軍』の徳川吉宗役に抜擢されています。
2026年現在、72歳となった松平健さん。若い頃の写真を見ると、爽やかな青年俳優だった時代から、時代劇スターとしての風格を身につけていく過程がよく分かります。ここでは、17歳の上京、勝新太郎さんとの出会い、デビュー当時の出演作、20代の代表作、そして芸能生活50周年を経た現在までを時系列で紹介します。
【原点】松平健は17歳で上京!俳優を目指した理由とデビュー前の苦労

愛知県豊橋市で育ち、映画スターに憧れる
松平健さんは1953年11月28日生まれ、愛知県豊橋市出身です。
幼い頃から映画館に通うことが好きで、特に影響を受けたのが石原裕次郎さんでした。松平さん自身、後年のインタビューで、石原さんが主演した映画『太平洋ひとりぼっち』を見たことが俳優を志すきっかけになったと振り返っています。
映画の中で、主人公がヨットで一人、太平洋横断に挑戦する姿に強い衝撃を受けたそうです。そこから、自分も人を感動させる仕事がしたいと考えるようになりました。
当時の松平さんは、まだ芸能界での実績も人脈もない青年でした。しかし、映画スターへの憧れを胸に、俳優になるという目標を持つようになります。
17歳の上京に家族は反対、母親だけが背中を押した
17歳になった松平さんは、俳優になるため東京へ出る決断をします。
ところが、家族全員が賛成したわけではありません。兄弟からは反対され、当時すでに父親を亡くしていた家庭では、母親が苦労しながら家計を支えていました。
そんな状況でも、母親だけは息子の夢を応援してくれました。
松平さんが2024年の『婦人公論』のインタビューで語ったエピソードによると、母親は「好きなことをやりなさい」という思いで、東京へ向かう息子にお金を持たせて送り出したといいます。
この出来事は、松平さんにとって今も忘れられない人生の原点です。後に『暴れん坊将軍』で国民的な人気を得ることを考えると、俳優としての第一歩は、決して恵まれた環境から始まったわけではありません。
石原プロへの直談判と約4年間の下積み
上京した松平さんが最初に目指したのは、憧れの石原裕次郎さんが率いる石原プロモーションでした。
当時は著名人の住所が雑誌などに掲載されていた時代です。松平さんは石原さんの自宅を訪ねましたが、本人には会えず、石原プロへの入所を希望しても、役者の募集はしていないと断られてしまいます。
そこで新聞広告を頼りに俳優養成所を探し、劇団で演技を学ぶ道を選びました。
下積み時代にはアルバイトも経験しています。2024年5月の『徹子の部屋』出演時には、八百屋や運送屋、ガラス関係の仕事、バーなど、さまざまなアルバイトをしながら劇団に通っていたことを明かしました。
俳優としての仕事がすぐに軌道に乗ったわけではありません。本人の振り返りでは、劇団で芝居を学んだ期間は約4年間。若い頃の松平健さんの華やかなイメージの裏側には、こうした地道な修業時代がありました。
【運命の出会い】松平健と勝新太郎の関係!『座頭市物語』がデビューの転機に
21歳で勝新太郎と出会い、勝プロダクションへ
松平健さんの俳優人生を語るうえで欠かせない人物が、名優・勝新太郎さんです。
松平さんが勝さんと出会ったのは1974年、21歳の頃でした。勝さんの目に留まったことをきっかけに、勝プロダクションに入り、付き人として近くで仕事をするようになります。
勝さんとの出会いは、単なる所属先の変更ではありませんでした。時代劇の演技や殺陣の考え方を、第一線で活躍する俳優から直接学ぶ機会を得たのです。
松平さんは後年のインタビューで、勝さんの殺陣について、そのスピード感や動きの格好よさが強く印象に残っていると語っています。
1975年『座頭市物語』で本格的な俳優デビュー
勝新太郎さんが主演するテレビドラマ『座頭市物語』は、松平健さんにとって大きな転機となりました。
1975年3月20日放送の第23話「心中あいや節」に出演。勝新太郎さんが監督を務めたエピソードで、浅丘ルリ子さん、吉沢京子さん、石橋蓮司さんらと共演しました。
松平さんが演じたのは、浅丘ルリ子さん演じる旅芸人のおさわに思いを寄せる庄屋の息子です。後の徳川吉宗役で見せる堂々としたヒーロー像とは異なり、若い青年の情感を表現する役柄でした。
この出演が、一般的に紹介される1975年の俳優デビューです。
実は1972年にもテレビ出演の記録がある
松平健さんのデビュー年については、少し整理しておきたい点があります。
東映の創立70周年記念寄稿『東映行進曲』では、1972年放送のテレビドラマ『マドモアゼル通り』がデビュー作として紹介されています。一方、所属・出演者プロフィールや本人のインタビューでは、1975年の『座頭市物語』が俳優デビュー作として扱われています。
つまり、初期のテレビ出演歴と、本格的な俳優デビューとして紹介される作品には違いがあります。1975年の『座頭市物語』は、勝新太郎さんのもとで本格的に俳優として歩み始めた重要な作品です。
その後、1976年にはテレビドラマ『人間の條件』で初主演を果たします。デビューから短期間で主演の座をつかんだことからも、当時の松平さんが若手俳優として期待されていたことがうかがえます。
勝新太郎から受け継いだ「矢」の教え
松平さんは、勝新太郎さんから受けた教えについて、2024年のインタビューで印象的な言葉を紹介しています。
「お前は矢だ。俺が放ってやるからどこまでも飛んでいけ」
これは、勝さんが松平さんに伝えた言葉として本人が振り返ったものです。努力を続けなければ矢は地面に落ちる、努力を忘れなければ飛び続けられるという教えでした。
松平さんは、この言葉を現在も大切にしていると語っています。
『暴れん坊将軍』で見せる力強い立ち回りや、舞台で観客を楽しませる姿勢にも、勝さんから受け継いだ精神が生きているの可能性があります。
【写真で検証】松平健の若い頃はイケメン!20代の画像に見る魅力
1977年の若い頃の写真が話題に
松平健さんの若い頃の写真を探すと、1970年代後半の姿に注目が集まります。
特に、週刊女性PRIMEが紹介した1977年撮影の若き日の写真は、当時の松平さんの雰囲気を知る手がかりになります。
写真から伝わるのは、整った目鼻立ちと、すっきりとした輪郭、そして若々しい笑顔です。現在の重厚な時代劇スターという印象とは異なり、爽やかさと精悍さが共存した青年俳優の姿が見られます。
当時はまだ『暴れん坊将軍』の放送開始前。俳優として経験を積みながら、大きな役をつかもうとしていた時期です。
松平健の若い頃がイケメンといわれる理由
若い頃の松平健さんが現在もイケメンと評価される理由は、単に顔立ちが整っているからだけではありません。
写真や当時の出演映像からは、次のような特徴が見て取れます。
- 目元の印象:はっきりとした眉と、意志の強さを感じさせる目元。
- 輪郭:シャープで引き締まった顔立ち。
- 清潔感:飾りすぎない髪型や服装でも映える爽やかな雰囲気。
- 立ち姿:背筋の伸びた姿勢と、時代劇で培われた身体の使い方。
- 表情の幅:優しい笑顔から、鋭い視線まで表現できる存在感。
とりわけ、若い頃の現代劇で見せる柔らかな表情と、時代劇での凛々しい表情の違いは興味深いところです。
『暴れん坊将軍』で徳川吉宗を演じるようになると、髷姿や着物姿が加わり、青年俳優としての爽やかさに武士らしい風格が重なっていきました。
若い頃の身長は何センチ?公式プロフィールを比較
松平健さんの身長については、掲載されているプロフィールによって数値に違いがあります。
所属事務所の三喜プロモーションでは177cm、ユニバーサルミュージックやテイチクのプロフィールでは178cmと紹介されています。
したがって、一般的には177〜178cmとして紹介されることが多い人物です。
若い頃の写真で全身を見ると、長身で姿勢がよく、着物姿でも洋服姿でもすらりとした印象を与えています。時代劇の主演俳優として、画面に立ったときの存在感を支える要素の一つだったと考えられます。
【20代の出演作】松平健の俳優経歴と『草燃える』北条義時役
松平健さんは1970年代後半、時代劇だけでなくNHK大河ドラマなどにも出演し、俳優としての知名度を高めていきました。
20代の出演作を時系列で整理すると、勝新太郎さんとの出会いから、主演俳優としての地位を築くまでの流れが分かります。
| 時期 | 主な出来事・作品 | 人物・役柄との関係 |
|---|---|---|
| 1970年 | 17歳で上京 | 俳優を目指して愛知県豊橋市から東京へ |
| 1972年 | 『マドモアゼル通り』 | 初期のテレビ出演記録 |
| 1974年 | 勝プロダクション入り | 勝新太郎の付き人として時代劇を学ぶ |
| 1975年 | 『座頭市物語』 | 第23話「心中あいや節」に出演。本格的な俳優デビュー |
| 1976年 | 『人間の條件』 | 初主演作 |
| 1977年 | NHK大河ドラマ『花神』 | 時山直八役 |
| 1978年 | 『暴れん坊将軍』 | 徳川吉宗役に抜擢。時代劇の主演スターへ |
| 1979年 | NHK大河ドラマ『草燃える』 | 北条義時役 |
1977年『花神』で大河ドラマに出演
1977年には、NHK大河ドラマ『花神』に出演しました。
演じたのは時山直八役です。大河ドラマという大きな舞台で経験を積んだことは、若手俳優としてのキャリアを広げる重要な機会になりました。
その翌年には『暴れん坊将軍』の主演が決まり、さらに翌1979年には別の大河ドラマでも主要な役を演じています。
1979年『草燃える』では北条義時を演じる
1979年放送のNHK大河ドラマ『草燃える』では、北条義時役を務めました。
『草燃える』は、源頼朝や北条政子を中心に、鎌倉幕府成立からその後の権力争いを描いた作品です。
主演は石坂浩二さん、北条政子役は岩下志麻さん。松平さんが演じた北条義時は、物語の中心となる北条一族の人物です。
後年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも北条義時が主人公となったことから、松平さんが1979年に同じ人物を演じていたことを知り、改めて当時の出演歴を振り返る人もいます。
2022年の『鎌倉殿の13人』では平清盛役を演じており、鎌倉時代を題材にした大河ドラマとの縁が続いている点も興味深いところです。
20代の松平さんは、単に時代劇の若手主演俳優というだけではありません。大河ドラマで歴史上の人物を演じる経験を重ね、役柄に応じた表現力を磨いていきました。
【大ブレイク】松平健は20代で『暴れん坊将軍』に抜擢!若い頃の吉宗が人気を得た理由
1978年に始まった代表作『暴れん坊将軍』
松平健さんの俳優人生を代表する作品といえば、テレビ朝日系の時代劇『暴れん坊将軍』です。
放送がスタートしたのは1978年。松平さんは20代前半の若さで、主人公の徳川吉宗役に抜擢されました。
当時の時代劇では、すでに実績のあるスター俳優が主演を務めることも多く、若手俳優が将軍役を担うのは大きな挑戦でした。
松平さん自身も、2024年のインタビューで、初めての時代劇主演だったため、京都の撮影所では大先輩の俳優たちに囲まれて緊張していたと振り返っています。
若い頃の吉宗役で苦労したのは殺陣だけではなかった
『暴れん坊将軍』の魅力は、悪人を成敗する豪快な立ち回りだけではありません。
松平さんが苦労したのは、将軍らしい立ち居振る舞いを身につけることでした。
殺陣については専門の指導者から教わることができます。しかし、将軍としての座り方や歩き方、着物の扱い方などは、自分で研究する必要がありました。
松平さんは以前から日本舞踊を習っていましたが、それだけでは殿様の所作を完全に表現できないと考え、歌舞伎を観て研究したと語っています。
特に参考にしたのは、歌舞伎俳優の座り方や着物のさばき方です。そうした動作を観察し、自分なりの吉宗像を作り上げていきました。
若い青年将軍と松平健の成長が重なった
『暴れん坊将軍』の徳川吉宗は、将軍という立場にありながら、身分を隠して江戸の町へ出向き、庶民の生活を見つめる人物です。
悪事を見逃さず、弱い立場の人々を助ける正義感の強いヒーローとして描かれています。
松平さんは、作品が始まった頃の吉宗を青年将軍として捉え、自身も新人俳優として役とともに成長していったと振り返っています。
最初は先輩俳優に気を遣いながら演じていたものの、シリーズを重ねるにつれて吉宗役が自分の代表的なキャラクターになっていきました。
テイチクのプロフィールでは、『暴れん坊将軍』シリーズは約25年、全832回にわたって主演を務めた代表作として紹介されています。
若い頃の松平健さんの写真を見る際にも、この作品の初期シリーズは重要です。端正な青年俳優の顔立ちと、将軍としての堂々とした存在感が同時に確認できる時代だからです。
【2026年現在】松平健は72歳!芸能生活50周年から現在までの活躍
2024〜2025年に芸能生活50周年を記念
1974年に勝プロダクションへ入り、1975年に『座頭市物語』で本格的にデビューした松平健さんは、芸能生活50周年を迎えました。
その節目を記念して、2024年から2025年にかけて『松平健芸能生活50周年記念公演』が開催されました。
公演では第一部で『暴れん坊将軍』、第二部で『マツケン大感謝祭~歌って踊って~オーレ!』を披露。俳優としての代表作と、歌手・エンターテイナーとしての魅力を一度に楽しめる構成でした。
2025年には博多座や御園座などで公演が行われ、舞台『サザエさん』や『大逆転!戦国武将誉賑』などにも出演しています。
2026年も舞台で『暴れん坊将軍』を演じる
2026年11月3日現在、松平健さんは72歳です。
現在も舞台やテレビ、イベントなど幅広い活動を続けています。
2026年1月には、東京・明治座で『松平健×コロッケ45周年特別公演』が開催されました。第一部は『暴れん坊将軍 THE STAGE2 狙われた将軍』、第二部は『マツケンコロッケのゴールデンパラダイスショー』という二部構成です。
加えて、2026年10月18日から11月5日まで、大阪・新歌舞伎座でも同公演が上演されています。
新歌舞伎座のインタビューでは、松平さんは『暴れん坊将軍』をヒーロー作品として捉え、悪いことをすれば成敗され、最後にはすっきりできる魅力を語っています。
また、80歳まで『マツケンサンバ』を踊り続けたいという目標も明かしています。
若い頃から変わらない、観客を楽しませる姿勢
松平健さんの活動を振り返ると、俳優と歌手という異なるジャンルを行き来していることが分かります。
2004年には『マツケンサンバII』が大きなヒットとなり、時代劇ファンだけでなく、幅広い世代に名前が知られるようになりました。
近年は若い世代にも認知が広がり、時代劇スターとしてのイメージに加えて、明るく親しみやすいエンターテイナーとしての人気も確立しています。
2026年のインタビューでは、ストレッチやウォーキングを続け、食事や睡眠にも気を配っていることが紹介されました。
若い頃に身につけた殺陣や身体の使い方を大切にしながら、年齢に応じた活動を続けていることが、長く舞台に立ち続ける理由の一つでしょう。
【プロの結論】松平健の若い頃から現在までを貫く3つの魅力
松平健さんのキャリアを振り返ると、若い頃の写真に見られる端正な容姿だけでは説明できない、俳優としての強さが見えてきます。
1. 早い段階から本物の時代劇に触れた経験
勝新太郎さんの付き人として過ごした時間は、松平さんの俳優人生に大きな影響を与えました。
殺陣のスピードや動き、人物の感情表現など、現場でしか学べないことを間近で吸収できたことは、その後の『暴れん坊将軍』につながっています。
2. 自分で役柄を研究し、独自の表現を作る姿勢
将軍役に必要な所作を歌舞伎から学び、自分なりの吉宗像を作ったことは、松平さんの俳優としての姿勢をよく表しています。
単に殺陣が上手なだけではなく、人物の立場や性格を身体の動きで表現することに力を注いできたのです。
3. 時代劇スターであり続けながら新しい表現に挑戦
『暴れん坊将軍』で確立した時代劇スターのイメージにとどまらず、『マツケンサンバII』で新たな人気を獲得したことも大きな特徴です。
芸能生活50周年を経ても、舞台やコンサートに新しい要素を取り入れ、観客を楽しませようとしています。
松平健さんの若い頃を知るうえで注目したいのは、単なる外見の変化ではありません。17歳で上京した青年が、勝新太郎さんから学び、20代で主演俳優となり、長年にわたって代表作を守り続けてきた過程そのものです。
【松平健の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:松平健は何歳で上京した?
A1:本人のインタビューによると、17歳で愛知県豊橋市から東京へ上京しました。俳優を目指して劇団で演技を学び、アルバイトをしながら下積み生活を送りました。
Q2:松平健の俳優デビュー作は何?
A2:一般的に紹介される俳優デビュー作は、1975年のフジテレビ系『座頭市物語』第23話「心中あいや節」です。ただし、東映の歴史資料には1972年の『マドモアゼル通り』も初期のテレビデビューとして記録されています。
Q3:松平健と勝新太郎の出会いはいつ?
A3:1974年、松平健さんが21歳の頃です。その後、勝プロダクションに入り、付き人として勝新太郎さんの演技や殺陣を学びました。
Q4:松平健は若い頃から身長が高かった?
A4:プロフィールでは177cmまたは178cmと紹介されています。若い頃の写真でも、長身で姿勢のよい立ち姿が印象的です。
Q5:松平健は何歳で『暴れん坊将軍』に抜擢された?
A5:20代前半です。1978年に放送が始まった同作で徳川吉宗役を務め、長年にわたる代表作となりました。
Q6:松平健は『草燃える』で何役を演じた?
A6:1979年のNHK大河ドラマ『草燃える』で北条義時を演じました。1977年の『花神』に続く大河ドラマ出演です。
Q7:2026年現在、松平健は何歳?
A7:1953年11月28日生まれのため、2026年11月3日時点では72歳です。芸能生活50周年を経た現在も、舞台やコンサートなどで活躍しています。
まとめ:松平健の若い頃は努力と出会いが生んだ時代劇スターの原点
松平健さんの若い頃を振り返ると、17歳での上京から1975年の『座頭市物語』出演、勝新太郎さんとの師弟関係、そして20代での『暴れん坊将軍』抜擢まで、着実にキャリアを積み上げてきたことが分かります。
1977年の写真に見られる爽やかな青年の姿は、現在の堂々とした時代劇スターとはまた違った魅力があります。一方で、勝新太郎さんから学んだ殺陣や、歌舞伎を参考にした将軍の所作など、若い頃から培ってきた技術は今も松平さんの大きな財産です。
2026年現在、72歳となった松平健さんは、芸能生活50周年を超えても舞台に立ち続けています。若い頃の写真と現在の姿を比較すると、変化した部分だけでなく、観客を楽しませようとする姿勢が一貫していることにも気づかされます。
松平健さんの魅力は、若い頃のイケメンぶりだけではありません。努力を重ねて役を自分のものにし、時代劇スターとしての存在感を確立しながら、新しいエンターテインメントにも挑戦し続ける。その歩みこそが、長く愛される理由なのです。
主な事実確認資料
- 上京・下積み・勝新太郎との出会い:婦人公論、双葉社 THE CHANGE。
- デビュー年・初期出演作:東映70周年記念資料、日本タレント名鑑、時代劇専門チャンネル。
- 20代の写真・プロフィール・身長:週刊女性PRIME、三喜プロモーション、ユニバーサルミュージック。
- 『草燃える』出演歴・2026年の活動:NHK放送ライブラリー、新歌舞伎座、松平健公式サイト。